アルディナウペポのあゆみ

1990年 タゴレッティ孤児院・ネイルロード障害児学校、トーマス・バーナード孤児院、カジャード障害児学級、セント・パウロ小学校をそれぞれ訪問し、寄付金、小型楽器、文房具、医療品、衣料品などを寄贈しました。
1994年 ナイロビ郊外の孤児・身障児施設、ダゴレッティ・チルドレンズ・センターの敷地内に新しく孤児のための宿舎を建設し、ベッド、マットレス、毛布と共にセンター側へ引き渡し、更に子供達の健康管理面から、炊き出しチームによる食事の現物支給を実施。センターの児童300名全員に週2回の食事を支給。
1998年

ダゴレッティの子供たち(主に障害児対象)の自立教育のため、実技指導教室(アート、ビーズ手芸)を開始した。

1999年 路上で生活をしていた子供たち(健常児を対象)に食料の自給自足を教育するためダゴレッティ農園をスタートした。
2000年 日本人専従指導者の派遣が実現し、ダゴレッティ・センター内にワークショップを開設した。その指導者により、自分たちの作った製品の売り上げで生活が出来るまでに上達した。この時点において、「フィード・ザ・チルドレン」という世界的規模のNGOがダゴレッティの経営に参加し、私たちはダゴレッティ・チルドレンズ・センターのアートワークショップに於ける使命を果たしたとものと考え、この新しいNGOに引き継いでもらった。なお、ワークショップで作られたビーズ、カードの製品は、アルデイナウペポを通じて日本でも販売されている。
2003年 10月 ケニヤのキテンゲラ村で、周辺のスラムの子供と母親の面倒を見ている「サイディアフラハというNGOに給食を開始し、貧困のため進学できない子供たちの手に技術を付け、社会に出てから自立出来るよう「サイディアフラハ」の敷地内に職業訓練所を開設した。訓練は2004年度より開始。
            11月 ケニヤ・ナイロビ郊外ババドコ地区ギタリマリグ村のスラムの子供たちに対し、給食支援を開始。併行して、私塾「ラッキーアカデミー」を運営し、学校に通えない子供たちに初等教育を実施した。
2004年 5月 ウガンダ北部のグル地区で反政府軍による誘拐(男子は少年兵、女子は性的虐待)から逃れるため野宿をしている子供たちのために、シェルターを建設した。現地の運営スタッフも配置され300名の子供たちに安心して眠れる場所を提供している。又、現地運営NGO「UYAP」の青年の協力を受け、子供たちの心と健康面のケアを行っている。
2006年 1月 シェルターにやってくる子供たちも生活に大分慣れ、自分たちで掃除や片付けをするようになってきました。年に1度は日本からアルディナウペポのスタッフがグルに行き、UYAPのメンバーとプロジェクトの運営方針等の話し合いを持つ。
            3月 シェルターから少し離れたところに職業訓練所建設のために土地を購入し、教室の建設を始める。草の生えた土地であったため土地の整地も必要になる。9月にはすべての準備が整う予定で開始。
            9月 職業訓練所の教室が完成。この後の作業は上下水道工事と電気工事が残ったが、授業を始めるのに必要な上下水道の工事を優先し、電気工事は来年以降に延期することになった。
2007年 3月 2007年2月から授業を開始する。当初は裁縫教室を生徒40名で始める。教師は2名でデザインミシンなど25台を準備したが、作業用机や道具等の設備がまだ不足しているため順次整えてゆく予定。平行して初等教育として生徒に読み書き算数の授業も行う。3月には日本からアルディナウペポのメンバーが出席して開所式を行った。
2007年 9月 職業訓練校に来る子どもたちに給食を開始。
2008年 9月

グル市内にワークショップの販売所開設準備を開始する。年内には市内でミシン8台と卒業生10名と共にミデイー先生の指導でワークショップをオープンする。

2009年 1月

第一期生35名の卒業式が行われた。

2009年 7月

ワークショップで卒業生の制作したエプロンとトートバックを日本で販売開始。その販売収益を送金し卒業生の収入となる。

2010年 9月

一期生二期生を対象に技術向上のための再教育を開始。終了時には自立支援のためにミシンを貸与することとした。

2010年 11月

アルディナウペポが継続して支援をしている、ケニアのサイディアフラハのカルリ園長来日し報告会に出席。今後も支援することを確認した。

2010年 12月 新たな指導者としてオペニー先生(男性)が加わり更なる技術向上をめざす。
2011年 2月 ミシンの貸与を受けた卒業生は自宅で請負仕事をしたり、ワークショップに参加し作業を続けている。
2012年 1月 多くの卒業生たちは自宅での仕事やワークショップ、マーケットなどで雇用され収入を得ることができるようになった。
2012年4月 新しいプロジェクトとして洗剤とロウソクの製造設備を備え製造販売を始める。